ディア マインド



「君、三年生か・・・。クラスと名前は」

「Cclass、三浦です」


高等部 カウンセリング室。




「・・・・・なるほど、喧嘩の経緯はおよそわかった。本条、着席して」

掻い摘んだ状況の説明が終るまで後ろに立たされていた和泉が、僕の横に座った。

担任の先生と向き合う形で、僕を真ん中に三浦と和泉。


「先生!先に突っ掛かったのはおれだけど!でも・・・」

先生からの発言を許されないうちに、和泉が身を乗り出して抗議した。


「本条!黙りなさい!手は膝の上!」


パンッ!と差し棒がテーブルの上、和泉の握り締める手の甲に落ちた。

「―――っ!・・・はい」

和泉は抗議を認められず、悔しそうに唇を噛んだ。

・・・水島を庇って、本条先生に注意を受けた時と同じ表情だった。


「さて、改めて本条、三浦、君たちの喧嘩に対する罰則だが、
原因に現在謹慎中の水島が関わっているようなので、ここは専門の先生に任すとする」

水島が謹慎中というのを聞いて、三浦は驚いたように僕を見た。

私語は出来ないので、軽く頷く程度で返した。

そして謹慎中の水島に関わる専門の先生と言えば、本条先生であることが充分予測出来た。

少しして担任の先生と入れ代わりに席に着いたのは、やはり本条先生だった。


「こんなところで三人に会うなんてね。
和泉の担任の先生から連絡もらって、喧嘩って聞いたんだけど。聡君も?」

「もう・・・兄貴!聡が喧嘩なんかするわけないだろ!」

「それもそうだね。和泉と三浦?」

のん気な先生の問い掛けに、三浦はそうですと投げやりに答え、和泉はここぞとばかりに喧嘩の原因をまくし立てた。

「確かにおれが先に手を出したけどさ!あいつは最初からケンカ腰でおれたちのクラスに来たんだ!!
水島を出せとかろくでもない奴ばっかりとか、言いたい放題いいやがって!!」

「和泉、ちゃんと着席して」

先生は前の時と違って、穏やかな笑顔で和泉に注意した。

和泉は先ほどの担任の先生の差し棒が効いているのか、意外にもすんなり手を膝の上に戻して着席し直した。


「ごめんね、三浦。和泉は短気だから。怪我はなかったかい?」

「いえ・・・別に。・・・俺の言い方も悪かったようで・・・すみませんでした」

まさか先生が謝って来るとは思ってもみなかったようで、三浦も拍子抜けしたようにすんなり謝罪した。

「ほら和泉、三浦はちゃんと謝ったよ」

和泉は黙ったままぷいっと顔をそむけた。

「しょうがないな・・・。三浦、和泉には後でよく言って聞かせておくから」

「・・・・・・どうでもいいです」

完全に和泉の保護者状態の先生に、三浦はすっかり毒気を抜かれてしまったようだった。


「まあ、喧嘩は三浦が相手だから心配ないとして・・・」

横目で三浦を見ると、ホッとするより「はぁ??」といった顔で先生を見ていた。

和泉はというと、案の定いつものように頬を膨らませていた。

先生はそんな和泉には構わず、三浦の方だけを見て尋ねた。

「ところで、三浦は水島に何の用だったの?」

「流苛が・・・水島が怖いと言うので誰だと聞いたら、高等部の奴で脅されたとか叩かれたとか・・・」


―それが、恐喝でも・・・ですか―


水島の言葉を裏付けるように、三浦の言葉が重なる。


「嘘だ!!いい加減なことばかり言いやがって!!」

またしても和泉が僕を押し退ける勢いで、三浦に掴みかかろうとした。


ビシッ!!「あうっ!!痛っ・・・」


無言で差し棒が和泉の腕でしなった。今度は先生に甘い顔はなかった。


―先生が誰かと対峙している時は、何を言っても無駄だよ。手を出そうものなら・・・―


和泉に対しても同じだった。


「和泉、落ち着いて。とにかく話を聞かなくちゃわからないだろ」

腕を押えて立ったままの和泉の両肩に手を掛けて、どうにか席に着かせた。


先生は、和泉には見向きもせずまた三浦と話はじめた。

「それいつの話?」

「今日・・・というか・・ついさっきです。流苛から聞いて・・・」

「三浦は水島を知っていたの?」

「いいえ。流苛が聡と同じクラスの奴だと言うので・・・」

「ふ〜ん・・・。で、水島がいたらどうするつもりだったの?」

「・・・あの・・・注意を・・・」

ここで初めて先生は僕を見た。

「聡君、三浦は注意しに来たつもりだったらしいけど、どうもそうは見えなかったみたいだね」

「それは・・・普通にしていても三浦は見た目で怖がられますから・・・。
誤解されやすい面はあると思います・・・」

半分は事実で半分は庇う言動になってしまった。

「そうだね、流苛なんて最初は泣いて寄り付きもしなかったからね。
三浦、流苛の家庭教師を申請しているんだって?」

先生はあっさり僕の証言に同意し、話は水島から流苛に移った。

「あ、はい。渡瀬と谷口もです。三人なら流苛の卒業まで、交代ですれば大丈夫ですから」

「へえっ・・・すごいね、三浦。それっていろいろ審査があるって聞いていたけど」

学力、環境、親を交えての面接など、厳しい学校の審査を通らなければならない。

「学校の審査を受けておけば、卒業しても続けられるからな。
・・・夏休みとか勉強以外にもいろんなところに連れて行ってやれるんだ」


学校側の生徒に対するケアは実に様々なシステムがあり、それこそ個々に対応しているのではないかと思うほど行き届いている。

それは僕自身が一番感じていることでもあった。


先生は流苛の話をする三浦を穏やかな目で見つめていた。

流苛の面倒を見ることは、牽いては三浦たちの成長に繋がることを先生は知っている。


「三浦たち三年生は、期末試験まで午後はフリーだったね」

先生は断片的に質問を繰り返した。

バラバラに散らばった事実を、ひとつひとつ詰めていくように。

「はい。受験に備えて専攻科目の選択授業ですから」

「・・・三浦、いま流苛はどこにいるんだい?」

「流苛ですか?三年のレストルームに。
今日は午後からは何も授業を取っていなかったので、自主学習しながら流苛の勉強を見ていたんですけど・・・」

「話を聞いた途端、カッとなってすぐ飛んで来たわけだ。流苛だけに余計に」

元々、流苛のことになると三浦は過剰な反応を示す。

図星を指されて、答えられなかったことが必然的にそれを証明していた。


「さてと、それじゃあ僕は流苛を迎えに行ってくるよ」

そう言って立ち上がった先生を、三浦と和泉が同時に見上げた。

「ああそうだ、三浦と和泉は僕がいいと言うまでここで謹慎。聡君は帰っていいよ」

「ちょっと待ってよ!兄貴!おれこんなところに、こいつと二人でなんていやだ!!」

三浦にも和泉と全く同じ気持ちがその顔に表れていたが、口元は真一文字に結ばれていた。

「和泉、喧嘩の罰則だよ。三浦は口答えをしているかい」

和泉は自分だけが騒いでいることにバツの悪さを感じたのか、不服そうに口を尖らせながらもそれ以上口答えはしなかった。


「それからその間にこの部屋の物が壊れていたり、二人に喧嘩した様子が見受けられたりしたら、
二度目はないよ。然るべき処分をするからね」

先生は主に和泉に向かって言っているようだった。


「和泉、返事は?」

「・・・わかったって」

「三浦」

「はい」

三浦の返事を聞き届けて、先生は僕を促した。

「聡君もほら、そこまで一緒に行こう。・・・和泉には後で返事の仕方も教えておかないといけないね」

出て行く間際、後ろで「え゛っ!?」と、焦るような和泉の声が聞こえた。



カウンセリング室を出たところで、少し心配になって先生に尋ねた。

「先生、本当に和泉と三浦二人きりにしておいて大丈夫でしょうか・・・。
あの二人あまりソリが合わないから・・・」

「大丈夫さ、三浦がもう相手にしないよ。流苛の審査も掛かっているしね、三浦はちゃんとわかってる」

あきらかに先生は自分の弟よりも、三浦の方を信頼しているようだった。


カウンセリング室を出てそのまま寮に帰るつもりだったけれど、三浦の言葉に花屋で別れた水島の姿がだぶって、どうしても気に掛かって仕方がなかった。


「・・・先生!あの・・・水島はどうしていますか」

三年のレストルームへ向かおうとする先生を呼び止めて聞いた。

「普通にしているよ。よく勉強する子だね」

「落ち着いているのなら、会いに行ってもいいですか。クラスのみんなも心配しているし・・・。
それに、もうすぐまた試験なので教科の進み具合とか・・・」

「聡君は、委員長だったね。うん、別にかまわないよ」

謹慎中の水島に会うことについては、その過程から推察してかなり難しいと思っていたが、予想に反して先生は僕の申し出をすんなり認めてくれた。




先生と別れて、宿舎への道を行く。青々と生い茂る樹木の葉陰の中を、迷うことなく進む。

発病して不足した単位を補う為に本条先生のところに来て、それまでそんな場所があったなんて全く知らなかった。

渡瀬たちも謹慎処分になって初めて知った場所。何もなければ、知ることはなかった。

・・・不思議だ。こうして補修を受けたり謹慎を受けたりする生徒がいるのに、けしてその場所は生徒間の中で広まることはない。

そんなことを思っていると、宿舎から数メートル一帯を占める椿の垣根が見えた。

垣根の椿は真冬に極大輪の濃い紅色の花が咲く。

椿は冬の花だが、その垣根の手前の沙羅の木は深い緑の葉に白い花をたくさんつけていた。

花が椿のように落花するので、夏椿とも呼ばれている木だった。


「君、こんなところで何しているの?」

「ひっ!・・・」

振り向いた途端、怖いものでも見たように顔を引き攣らせた少年に「ああ・・」と、思わずマスクに手がいった。

「マスク、驚いた?顔が半分くらい隠れちゃうからね。ごめんね」

マスク越しでも笑顔は伝わったようだった。

すぐ申し訳なさそうに少年は目を伏せると、僕の名札と名札紐の色で「あっ!」という表情を見せた。

「・・・オレンジ色の・・・村上さんですね、ごめんなさい。・・あのっ、えっと・・・ぼく・・・」

沙羅の木の幹に手を掛けて立っていた少年の足元には、白い花がまるで地面に咲いているように落花していた。


「青色の名札紐・・・中等部一年生だね」

名札には―竹原 篤(たけはら あつし)―の名前が記載されていた。


竹原・・・聞き覚えのある名前だった。

実力考査二日目の終了後、図書室に借りていた本を返しに行った帰り道、高等部の敷地内で流苛と出会った。


―友達を探してるんです。高等部の方に行ったって聞いて・・・―


その時探していた子だ・・・流苛の友達。


「君・・・流苛君の友達?」

「あっ、はいっ!立木君を知っているんですか。立木君とはルームメイトなんです」

流苛ほど幼い顔付きではないけれど、それでも入学してまだ半年の中等部一年生は高等部の僕たちから見れば小学生に近かった。

おずおずと見上げていた瞳が、縋るような瞳に変わった。


「竹原君だよね。この前は流苛・・・立木君が君を探していたけど、今度は君が探しているの?」

「はいっ。・・んと、あの・・・立木君じゃなくて・・・本条先生に会いに来たんです」

見上げたまま竹原の縋るような瞳が、ゆらゆらと揺らめき始めた。

「本条先生?此処の場所がよくわかったね。・・・立木君に聞いたの?」

コクンッ・・・頷きと共に、足元の白い夏椿の花びらが微かに震えた。

「・・・ヒック・・前に・・センターの裏の方って聞いて・・それで僕・・・探して・・グスッ・・・」

一旦零れた涙はなかなか止まらないようだった。竹原はさかんに拳で目を擦った。


泣くには泣くだけの理由があるのだろう、あの時の僕と同じ・・・。

ローズガーデン野バラの中で、そんな僕に渡瀬は・・・


―渡瀬は涙の理由(わけ)は無理に聞こうとはせず、先生と同じようなことを言いながら、片方の手で僕の背中を擦った―


「先生はいま宿舎にはいないけど、ここまで来たのなら仕方ないね。
少ししたら戻って来ると思うから食堂で待っていたらいいよ。僕も用事があって宿舎に行くから、一緒に行こう」

竹原の小さな背中にそっと手を当てた。




宿舎は基本的には寮と同じ造りなので、初めてでもあまり迷うことはない。

竹原を連れて食堂に入る。厨房では、賄いのおばさんが夕食の用意をしていた。

「おや、まあっ。村上君じゃないの、久し振りだね」

「こんにちは、ちょっと先生に用事があって・・・少しここで待たせてもらってもいいですか」

「どうぞ、どうぞ。ちょうど用意も出来て部屋に戻るところだったんだよ。
時間内だったらいつでもインターホンを押して。君たちの分くらい大丈夫だから」

「はい。ありがとうございます」

宿舎の賄いのおばさんは、食事の用意を済ますと一旦部屋に引き上げる。
そして決められた食事の時間内にインターホンを押すと、食堂に来てくれるシステムになっていた。

寮の食堂は大人数なので時間内は必ず賄いのおばさんたちが常駐しているが、先生の宿舎は特殊な環境(謹慎中の生徒等)に配慮してか、賄いに限らず掃除のおばさんたちも含めて長居している姿を見ることはほとんどなかった。


「ここで待っていれば、たぶん先生に会えるよ。・・・一人で待っていられる?」

「はい」



―普通にしているよ。よく勉強する子だね―

先生の言葉からして、この時間なら水島は自室かスタディルームにいるはずだ。


竹原のことも気にはなったが、食堂のテーブルに座らせて僕が出来るのはそこまでだった。

「退屈でもあまりウロウロしちゃだめだよ。寮と同じ造りだけど・・・ここは先生の領域だからね。
何か好きな飲み物ある?」

謹慎中の生徒がいるとは言えなかった。

「あの・・・そんな、いいです。僕ちゃんと座って待ってます」

「遠慮しなくていいよ。ココアはどう・・・・・・」

食堂の自販機で飲み物を買っている時だった、入り口付近から突然ダンッ!!バターン!!と、物がぶつかる音やドアの開閉音が大きく鳴り響いた。

「わっ!な・・何!?・・・」

竹原は大きな物音に、ビクリと身を震わせた。

「何だろうね・・・大丈夫だよ、落ち着いて。ちょっと様子を見てくるから、竹原君は動いちゃだめだよ」

尚も断続的に続く物音は、スタディルームの方向から聞こえて来た。

花に囲まれた静かな世界・・・滅多に大きな物音などすることがないのと水島の様子が気になって、急いでココアを買ってスタディルームに向かおうとした。


「立木君!!」


竹原の驚きが入り混じった叫び声と同時に、食堂の入り口から流苛が飛び込んで来た。


「竹原君!!」


流苛も同じように驚きの声を上げて、竹原に駆け寄った。直後、流苛の後を追うように入って来た人物・・・。


「・・・村上さん」

「水島君・・・」


四人が四人とも予想し得ない顔触れに、その場の空気が止まった。


しかしそれはほんの一瞬で、いち早く流苛が動いた。

「竹原君!だめだよ、ここに来ちゃ!帰ろう!!」

竹原は流苛に腕を引っ張られながらも、水島を凝視していた。

「篤・・・」

水島はそれに答えるかのように、竹原の名前を呼んだ。

「水島君・・・竹原君を知っているの?」

知っていると言うよりも下の名前で呼ぶこと自体が、既に親しい間柄を示しているようだった。


「知っているも何も、村上さん!だって、そいつが竹原君を脅かしていたんだよ!」

「竹原君を?・・・流苛君じゃないの?三浦が言っていたけど・・・」

三浦と食い違う流苛の発言。

「勘違いなの!三浦さんってば、僕の話半分しか聞かずに飛び出して行くんだから!」

「勘違い・・・だとしても・・・」

「だとしても・・・その通りですよ、村上さん。事実は変わりません」

水島は流苛の言葉を、何ひとつ否定しなかった。水島の顔から表情が消えて行く。


「・・・そうだね、だから君はここに来たんだったね。水島君、帰れるのは自分次第だよ」


「俺は帰れるなんて思っちゃいません。やっぱりあのまま駅に行けばよかった。
出るに出られない、ここは牢獄と同じだ。さっさと退学にすればいいものを・・・なあ、篤?」

最後の篤と呼び掛けたところだけ、眼鏡の奥の瞳がすっと細くなった。

「・・・水島さん・・違う!・・・違うよ!水島さん!!」

突然竹原が庇うように立っていた流苛を押し退けて、叫びながら水島の胸に縋りついた。


「あっ・・・竹原君!だめっ!傍に行っちゃ危ない!!」


「篤・・・俺から離れろ。・・・友達の忠告はちゃんと聞けよ」

「違うでしょ!!僕ね!僕、水島さんは・・・」

何が違うのか・・・。違う、違うと繰り返す竹原は、きっとその「違う」ことを先生に伝えに来たのだろう。


「・・・何しに来たんだ?こんなところ、お前の来るところじゃな・・・」

「水島さんは、本当はそんな人じゃないって!先生に・・・だって!僕は・・・」

被害者である竹原が、加害者の水島に必死で訴える姿を見て、もしかしたら・・・わずかな希望を感じたその時―――


パシーンッ!!


「あうっ!!」 


水島が竹原の頬を打った。


「わあぁっ!!竹原君!竹原君――!!」

流苛の悲鳴にも似た叫び声が食堂に響いた。


まだ少年体形の中等部一年生の身体は、大柄な水島の平手一発で崩れ落ちてしまった。



「水島!・・・何てことを・・・」

一瞬の出来事になす総べも無かった。


「・・・これが俺なんです。村上さん、仲間とか信じるとか、そんなものは世間を知らないお坊ちゃんたちの言うことだ」

眼鏡のブリッジに手を当てる水島の指の隙間から、レンズの奥の瞳が冷たく光った。


「謝れ!!竹原君に謝れ!!こんな酷いこと!!お前なんか・・・!!」

「やめろ!流苛君!!水島!!」


突然流苛に飛び掛られた水島は、不意を突かれて大きくバランスを崩した。

前のめりになったところを流苛の振り回す手が水島の顔に当たって、眼鏡が音を立てて床に弾き飛んだ。


―――カツンッ!パキーンッ・・・・・・


「・・・こいつ」

「流苛・・・危な・・!!!」


ガターンッ!! ガンッ!! ダンッ・・・・・・


振り払った水島の腕に軽々と跳ね返された流苛は、あわや食堂のテーブルにぶつかりそうになった。



「うっ・・・・・・」

「・・・村上さん?・・村上さん!わあぁんっ!!」

間一髪、流苛を抱き込む形で背後に回り込んだものの勢いを防ぎきれず、テーブルに背中をしたたかに打ちつけてしまった。

「・・・っ、大丈夫だよ、ちょっと背中を打っただけだから。・・・流苛君は?」

「僕は何ともないけど・・・村上さんが・・・」

流苛に体を支えてもらって上半身を起こした。

その際、テーブルの足の隙間から床に転がった眼鏡が見えた。

流苛がまた水島を睨み付けた。

眼鏡を掛けていない水島の顔は、普段の大人びた表情とは正反対のまだ少年らしさの残る顔立ちだった。


「・・・水島、残念だよ。君がそうなるまでに、どうして誰にも相談しなかったのか・・・。
僕はともかく、和泉たちと一緒に過ごして来た年月は何だったの」

「一緒に過ごして来た年月・・・お坊ちゃんたちとね。・・・俺には重荷にしかならない」

眼鏡のブリッジに手を当てる仕草を見せるも眉間のところで手が止まり、チッと舌打ちしながらそのまま大きく前髪を掻き上げた。


―小学校から掛けてるんだ。外したら自分でも俺じゃない感じだよ―


そうまで言っていた水島はしかし眼鏡を拾おうともせず、何もかも諦めたようにその瞳は虚空を見つめていた。


「そんなのお前の勝手だろ!!どうして竹原君をいじめるんだ!!」

「立木君!もういいんだよ!やめて、お願い!」

頬を打たれても尚も水島を庇おうとする竹原と、興奮収まらない流苛。

収拾のつかない様相を呈し始めたところに、食堂の扉が開いて先生が帰って来た。


「何だい、騒々しいね。流苛、いないと思ったら此処に来ていたんだね」

「先生!!先生!あいつ酷いの!!竹原君また叩かれて・・・」

流苛は先生にしがみついて、水島を指差し訴えた。

「流苛、あいつなんて生徒はいないよ」

先生は指差す流苛の手を開くと、その手をとって竹原に歩み寄った。


「先生・・・」

「心配しなくていいよ、ちゃんとわかっているから。後でゆっくり話そうね」

先生の手が、ふわりと水島に打たれた竹原の頬に当てられた。

そして流苛と繋いでいるもう一方の手を、前に差し出した。


「流苛は竹原君と寮に帰りなさい、夕食に間に合わないよ。食事が済んだら明日の朝まで部屋で謹慎、反省しなさい。
二人とも許可無く勝手な行動をした罰だ」

「どうして!先生!僕たちよりあいつの方がずっと悪いのに!」

「流苛、いま言ったことをもう忘れたのかい?それに反省は自分の取った行動を考えることだよ、相手じゃない」

「・・・でも」

「はい、わかりました」

尚も承服し兼ねる流苛の手を、竹原はぎゅっと握りながら返事をした。

「・・・はい。・・・あっ、でも村上さんが・・・」

まだ座り込んだままの僕を、流苛は心配そうに見つめた。

「僕は大丈夫だから、時間厳守は中等部の方かずっと厳しいよ」

「さあ」と先生に背中を押された流苛と竹原は、宿舎を出て寮へ帰った。


「聡君、立てるかい?」

「・・・足首を捻ったみたいで・・・でも何とか・・・ぅっ・・」

僕の体では、流苛を抱え込んでの衝撃は支えきれなかった。

背中の痛みはまだしも足首の捻挫に、すぐ立ち上がることが出来なかった。


「無理しなくていいよ。・・・少しそうしていられるかい」

そう言う先生の顔は、もう僕には向いていなかった。







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